ドライブインみぼろ湖

荘川桜に1番近いドライブイン
オンラインでのご予約はこちら!

荘川桜物語

荘川桜私たちの誇りである、大切な文化財の『荘川桜』を紹介させていただきます。
この『荘川桜』は巨桜で雄姿の素晴らしさもさることながら、当時水没から老桜を守り、移植に協力した人々の純粋な行為が、今では失われつつある[自然の大切さ、物への愛情 ・ 尊さ]を、改めて教えてくれる私たちの大切な宝なのです。
 御母衣湖畔中野展望台にたっている2本の巨桜は、樹齢500余年といわれ、いずれもアズマヒガンザクラです。いまは湖底に沈む中野照蓮寺および光輪寺の境内にあったもので、村人にながく親しまれてきた想い出の桜です。

 昭和34年の晩秋、ダム建設中にこの地を訪れた電源開発株式会社の初代総裁高碕達之助氏がこの巨桜が湖底に沈むのをこよなく愛惜し、桜に関して詳しい笹部新太郎翁の協力を得て、移植することを思い立った。電発会社もこれに協力し、大々的に移植工事が進められ、昭和35年12月に完了し、翌春見事に花を咲かせました。

移植の事情

昭和27年、国は終戦後の日本復興の為の水力発電を推進するため、電源開発促進法を制定し次いで電源開発株式会社を設立しました。
 その最初の開発計画が、庄川最上流の御母衣発電計画でした。御母衣ダムは総貯水量3.3億?の東洋一のロックフィルダムで、当時の荘川村内の中野校下全域と白川村の一部に及ぶ大きなものであったため、村をはじめ地域住民は、先祖伝来の土地と住民の生活を奪われるために反対運動を始め、御母衣ダム絶対反対既成同盟死守会を結成して、純粋で熾烈な反対運動を展開した。しかし、初代電発総裁であった高碕達之助氏の誠意ある説得により合意しました。
 昭和34年11月の死守会解散式に招かれ出席した高碕氏は、自分の責任で水没する集落を散策中に光輪時境内にある老桜を発見し、水没移住する人々の心のよりどころとして移植することを決意されて、指導者に日本一の桜博士と称されていた笹部新太郎氏に以依頼しました。
 笹部氏は早速現地を訪れ、近くの寺院(照蓮寺)の境内にもう1本の巨桜を発見し、万が一1本が枯れてももう1本が助かればとの想いから2本の移植を提案し、2本が同時に移植され奇跡的に2本とも蘇生したのです。 (荘川観光協会パンレットより抜粋)

sakura_logo